顕正会の本尊はほとんどがニセモノ(模造品)である
本尊とは「根本尊崇」の略語とされ、要するに仏様ご自身の姿だと信じられています。
顕正会員も、会館の御本尊や幹部の自宅の御本尊は、大御本尊につながっていると思って、純真な祈りをささげているはずです。
それがもしニセモノだったとしたら・・・??!!
顕正会では、創価学会と違い、「日蓮正宗から下付された正統の本尊だけが本物である」と教えているのですから、もし今会館などにある御本尊が、浅井が勝手に印刷したものだとしたら、純真な会員は卒倒するくらいのショックを受けることでしょう。
「あれほど純真に命がけで戒壇義を護ってこられた浅井先生が、偽物の本尊を作るなんてわけがあるものか!!」と叫びたくなる会員も多いことと思いますし、「顕正新聞に書いてあることは全部真実だ!」と信じたくもありましょうが、浅井自身が書いたはずの新聞記事において、所蔵する本尊の数や種類がコロコロ変わっているという事実を知るとき、自分自身をどう納得させるつもりでしょう。
そもそも、破門された浅井昭衛が、「大量の本尊」を下付されうる道理が無いのです。
死人に口なしとはよくぞ言ったもので、松本師(今は故人)にそんな権限も力も無かったのです。
なぜそうはっきり言えるかと言うと、たとえ能化といえども、「大量の本尊」を持たせるということは、宗門においてはありえないことだからです。
とにかく、顕正会の最高指導者浅井昭衛が、自ら露呈した”自語相違”を、顕正新聞の実際の記述によりながら、その出鱈目な言説を検証してみましょう。
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顕正新聞に明らかな、ニセ本尊の”証拠”</h2>
「顕正会で護持している御本尊は、すべて日蓮正宗妙縁寺住職・松本日仁尊能師より授与され、私が護持申し上げてきたものである。(中略)妙信講に解散処分 が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持 されていた 大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。
この七幅の常住御本尊とは、
- 二十八代日詳上人
- 五十四代日胤上人
- 五十五代日布上人
- 五十六代日応上人
- 六十代日開上人
- 六十四代日昇上人
等の歴代上人御書写の御本尊であり、 このうちの日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである。
また御形木御本尊については、宗門の全末寺において昭和四十年までは日寛上人の御本尊が下附されていたが、四十一年からは日達上人の御形木御本尊に替わった。 松本尊能師は四十年以降この日寛上人の御形木御本尊を妙縁寺に秘蔵しておられたが、私の願い出により、これをすべて託して下さったのである。 いま、顕正会において、地方における入信勤行の際に幹部が奉持する御本尊も、また地方拠点に御安置される御本尊も、みなこの日寛上人の御本尊様である。」(顕正新聞 昭和60年3月15日号)
「ここに、松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの
- 歴代上人の御直筆御本尊七幅
、
- 日寛上人の御形木御本尊を多数
- 日布上人の御形木御本尊を多数
用意して、私に託して下さったのであります。
この松本尊能化の地方会館に安置し奉る大幅の日布上人の御形木御本尊と、自宅拠点に懸け奉る日寛上人の御形木御本尊を、松本尊能化にぜひ用意して下さるよう敢えて願い出て、これを授与して頂いたのであります。
このときさらに松本尊能化は、「葬儀のときに困るでしょう」とおっしゃって、日寛上人御書写の「大日蓮華山大石寺」の脇書がある導師曼荼羅の御形木御本尊
まで、六幅授与して下さったのであります。
私は、この異常事態の宗門の中で、ひとり顕正会だけが、あの清らかな日寛上人・日布上人の御本尊様を拝めるということ、こんな有難いことはないと思っております。」(顕正新聞 平成11年4月25日号)
おやおや、十数年を経ると、日布上人の御形木御本尊が突如として現れます。
それだけにとどまらず、新たに「大幅の日布上人の御形木御本尊」と「日寛上人の御形木導師曼荼羅」が増えてしまいましたよ(上記赤字部分)。
これはいったいどういうことなのでしょう。
「大幅の日布上人の御形木御本尊」は宗門に存在しない!
大幅の日布上人の御形木御本尊というものはそもそも、この世に存在したことがないのです。
顕正会員は浅井から相当甘く見られているようで、「そんなことを知るに至る者はなかろう。知ったところでいくらでも誤魔化せる」とでも思われているのでしょうか。
ただ、浅井は、すでに所蔵していた日布上人の御本尊(形木ではなく直筆のもの)から版を取り、模造本尊を生産するつもりで、上記のように、存在しない本尊をでっち上げたのでしょう。
そっくり同じ本尊が複数存在するからには、それは御形木があって、それで印刷したのだと説明すれば、本尊に関する基礎的な知識が無い者に限り騙すことは可能です。
御形木があると言い張れば、無知な会員を騙せると踏んだというわけでしょう。
念のため添えますが、浅井が御形木を所有していたとしても、それで本尊を印刷することは教義上許されません。
そこを衝かれないために、浅井は、「大幅の御形木本尊が初めから多数ある」かのように言って見せたわけです。
実際には、既存の本尊から版を起こし、印刷して増やしたニセ本尊であることは、状況証拠からして明らかな事実です。
導師曼荼羅に「大石寺」などという脇書はありえない!
もっとひどいウソは、「日寛上人の御形木導師曼荼羅」です。
そんなものはこの世に存在しません。
ただ単に「葬式用に導師曼荼羅をもらった」と言えばまだ良かったのに、真実味を出そうとしたのかわざわざ「脇書」に言及して見せ、「大石寺」の脇書があると言うのですが、脇書というのは、下付する相手のことを書くものであって、下付する主体のことを書くことはありません。
したがって、脇書に下付する側である大石寺の名が記されるのはいかにもおかしいことで、通常は末寺の名前が入るのです。
日蓮正宗の信徒なら、まずこの時点で、浅井の言説がウソデタラメだということが明確にわかりますし、破門前に入信した創価学会員も同様でしょう。
要するに、正法だ正義だと言っている顕正会員は、上記二者よりもはるかに基礎教学に暗い、アンポンタンということになります。
こんな子供だましのウソに騙されて赤恥をかきつづけるのは、もうやめにしませんか。
自分らの教祖が書いた新聞の記事くらい、バックナンバーを見れば明らかにわかることです。
それもせず、「顕正会は正しい」とか「顕正会に入れば必ず幸せになれる」とか言って勧誘するのは、宗教的にはもちろん、いち社会人として無責任で恥ずべき行為と思いますがいかがでしょうか。
自分が信じていることが嘘か真か、本物か偽物かも確かめずに人に勧めるのは、人道的な犯罪です。
松本日仁師は御本尊返還を命令していた
実は九月二十八日に内容証明が一通まいりました。何事ならんと見れば妙縁寺の松本御能師の名前で差し出されている。
「妙信講の本部会館に御安置の御本尊をすぐ返還せよ」とある。
まさか、あの松本御能師がそんなバカなことを仰せになるはずはないのです。いまになって見れば、すべての実相がわかってきた。御能師にすべてお聞きしました。
九月二十八日に御能師は突然本山へよび出されたそうです。そしていきなり、「妙信講の御本尊を取りかえすように」と猊下からいわれた。そこで御能師は「自分には信義上とてもそんなことは出来ない、むしろ自分の首を切ってくれ」と言上したそうです。そしたら猊下は「すぐ取り上げるのではない。ケジメをつけるのだ。松本さんも老齢だし、将来わからなくなると困るから貸与してある記録として内容証明を残しておくのだ」といわれた。
そこで御能師も安心して、すでに宗務院で用意してあった案文を写し署名されたのです。
その後、十月十一日に御能師はまた本山に登られた。その時猊下は、「もっと強気になって返還請求しなければだめだ。さもないと、妙縁寺の責任役員会を開かねばならぬようになるかも知れない」といわれた。(中略)
そこで昨年十二月二十二日の御入仏式の時、すでに松本御能師と堅い約束の文書を取り交しておりました。松本御能師からは「十万達成して妙信講授与の御本尊感得の暁まで、本部会館安置の本尊として確かに貸与する」と覚え書きを下された。
(冨士 昭和49年12月号 浅井昭衛理事長)
いかにもおかしな話です。
そもそも、妙信講はすでに日蓮正宗から認められていないのですから、そんな団体に、御本尊を渡したままにするはずはないのです。
返還命令は本気で行われたものであって、「貸与したことを忘れないための記録」などではなかったことは道理からも宗門の慣習からも明らかです。
第一に、本尊のことは猊下が決めることであり、それ以外の人と「堅い約束」もヘチマもあるものではありません。
浅井は様々な言葉を弄して話を分かりにくくしている感さえ抱きますが、解散命令の下った信徒らに信仰上最第一に重要であるところの本尊を渡したままにする「約束」など、いかな高僧といえどもする権限のあろうはずがないのです。
そもそも、自分の所有物でもない御本尊を、「信徒を除名になっても永久にあなたのものです」などという「約束」が成立しよう道理がありません。
浅井昭衛という男は、このように、舌をペロペロ出しながら、都合の悪いことを次々と捻じ曲げては得意げにしゃべり、頭の弱い会員を騙し続けているのです。
なお、この内容証明の一件により、顕正会にある本尊のうち、少なくとも1体は本物が混ざっているということがわかります。
「顕正会で護持している御本尊は、すべて日蓮正宗妙縁寺住職・松本日仁尊能師より授与され、私が護持申し上げてきたものである。(中略)妙信講に解散処分 が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持 されていた 大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。
この七幅の常住御本尊とは、
- 二十八代日詳上人
- 五十四代日胤上人
- 五十五代日布上人
- 五十六代日応上人
- 六十代日開上人
- 六十四代日昇上人
等の歴代上人御書写の御本尊であり、 このうちの日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである。
また御形木御本尊については、宗門の全末寺において昭和四十年までは日寛上人の御本尊が下附されていたが、四十一年からは日達上人の御形木御本尊に替わった。 松本尊能師は四十年以降この日寛上人の御形木御本尊を妙縁寺に秘蔵しておられたが、私の願い出により、これをすべて託して下さったのである。 いま、顕正会において、地方における入信勤行の際に幹部が奉持する御本尊も、また地方拠点に御安置される御本尊も、みなこの日寛上人の御本尊様である。」(顕正新聞 昭和60年3月15日号)
「ここに、松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの
- 歴代上人の御直筆御本尊七幅 、
- 日寛上人の御形木御本尊を多数
- 日布上人の御形木御本尊を多数
用意して、私に託して下さったのであります。
この松本尊能化の地方会館に安置し奉る大幅の日布上人の御形木御本尊と、自宅拠点に懸け奉る日寛上人の御形木御本尊を、松本尊能化にぜひ用意して下さるよう敢えて願い出て、これを授与して頂いたのであります。
このときさらに松本尊能化は、「葬儀のときに困るでしょう」とおっしゃって、日寛上人御書写の「大日蓮華山大石寺」の脇書がある導師曼荼羅の御形木御本尊
まで、六幅授与して下さったのであります。
私は、この異常事態の宗門の中で、ひとり顕正会だけが、あの清らかな日寛上人・日布上人の御本尊様を拝めるということ、こんな有難いことはないと思っております。」(顕正新聞 平成11年4月25日号)
おやおや、十数年を経ると、日布上人の御形木御本尊が突如として現れます。
それだけにとどまらず、新たに「大幅の日布上人の御形木御本尊」と「日寛上人の御形木導師曼荼羅」が増えてしまいましたよ(上記赤字部分)。
これはいったいどういうことなのでしょう。
大幅の日布上人の御形木御本尊というものはそもそも、この世に存在したことがないのです。
顕正会員は浅井から相当甘く見られているようで、「そんなことを知るに至る者はなかろう。知ったところでいくらでも誤魔化せる」とでも思われているのでしょうか。
ただ、浅井は、すでに所蔵していた日布上人の御本尊(形木ではなく直筆のもの)から版を取り、模造本尊を生産するつもりで、上記のように、存在しない本尊をでっち上げたのでしょう。
そっくり同じ本尊が複数存在するからには、それは御形木があって、それで印刷したのだと説明すれば、本尊に関する基礎的な知識が無い者に限り騙すことは可能です。
御形木があると言い張れば、無知な会員を騙せると踏んだというわけでしょう。
念のため添えますが、浅井が御形木を所有していたとしても、それで本尊を印刷することは教義上許されません。
そこを衝かれないために、浅井は、「大幅の御形木本尊が初めから多数ある」かのように言って見せたわけです。
実際には、既存の本尊から版を起こし、印刷して増やしたニセ本尊であることは、状況証拠からして明らかな事実です。
もっとひどいウソは、「日寛上人の御形木導師曼荼羅」です。
そんなものはこの世に存在しません。
ただ単に「葬式用に導師曼荼羅をもらった」と言えばまだ良かったのに、真実味を出そうとしたのかわざわざ「脇書」に言及して見せ、「大石寺」の脇書があると言うのですが、脇書というのは、下付する相手のことを書くものであって、下付する主体のことを書くことはありません。
したがって、脇書に下付する側である大石寺の名が記されるのはいかにもおかしいことで、通常は末寺の名前が入るのです。
日蓮正宗の信徒なら、まずこの時点で、浅井の言説がウソデタラメだということが明確にわかりますし、破門前に入信した創価学会員も同様でしょう。
要するに、正法だ正義だと言っている顕正会員は、上記二者よりもはるかに基礎教学に暗い、アンポンタンということになります。
こんな子供だましのウソに騙されて赤恥をかきつづけるのは、もうやめにしませんか。
自分らの教祖が書いた新聞の記事くらい、バックナンバーを見れば明らかにわかることです。
それもせず、「顕正会は正しい」とか「顕正会に入れば必ず幸せになれる」とか言って勧誘するのは、宗教的にはもちろん、いち社会人として無責任で恥ずべき行為と思いますがいかがでしょうか。
自分が信じていることが嘘か真か、本物か偽物かも確かめずに人に勧めるのは、人道的な犯罪です。
実は九月二十八日に内容証明が一通まいりました。何事ならんと見れば妙縁寺の松本御能師の名前で差し出されている。
「妙信講の本部会館に御安置の御本尊をすぐ返還せよ」とある。
まさか、あの松本御能師がそんなバカなことを仰せになるはずはないのです。いまになって見れば、すべての実相がわかってきた。御能師にすべてお聞きしました。
九月二十八日に御能師は突然本山へよび出されたそうです。そしていきなり、「妙信講の御本尊を取りかえすように」と猊下からいわれた。そこで御能師は「自分には信義上とてもそんなことは出来ない、むしろ自分の首を切ってくれ」と言上したそうです。そしたら猊下は「すぐ取り上げるのではない。ケジメをつけるのだ。松本さんも老齢だし、将来わからなくなると困るから貸与してある記録として内容証明を残しておくのだ」といわれた。
そこで御能師も安心して、すでに宗務院で用意してあった案文を写し署名されたのです。
その後、十月十一日に御能師はまた本山に登られた。その時猊下は、「もっと強気になって返還請求しなければだめだ。さもないと、妙縁寺の責任役員会を開かねばならぬようになるかも知れない」といわれた。(中略)
そこで昨年十二月二十二日の御入仏式の時、すでに松本御能師と堅い約束の文書を取り交しておりました。松本御能師からは「十万達成して妙信講授与の御本尊感得の暁まで、本部会館安置の本尊として確かに貸与する」と覚え書きを下された。
(冨士 昭和49年12月号 浅井昭衛理事長)
いかにもおかしな話です。
そもそも、妙信講はすでに日蓮正宗から認められていないのですから、そんな団体に、御本尊を渡したままにするはずはないのです。
返還命令は本気で行われたものであって、「貸与したことを忘れないための記録」などではなかったことは道理からも宗門の慣習からも明らかです。
第一に、本尊のことは猊下が決めることであり、それ以外の人と「堅い約束」もヘチマもあるものではありません。
浅井は様々な言葉を弄して話を分かりにくくしている感さえ抱きますが、解散命令の下った信徒らに信仰上最第一に重要であるところの本尊を渡したままにする「約束」など、いかな高僧といえどもする権限のあろうはずがないのです。
そもそも、自分の所有物でもない御本尊を、「信徒を除名になっても永久にあなたのものです」などという「約束」が成立しよう道理がありません。
浅井昭衛という男は、このように、舌をペロペロ出しながら、都合の悪いことを次々と捻じ曲げては得意げにしゃべり、頭の弱い会員を騙し続けているのです。
なお、この内容証明の一件により、顕正会にある本尊のうち、少なくとも1体は本物が混ざっているということがわかります。